母娘の愛とかをめぐって/鈴木涼美(2017)『愛と子宮に花束を』

本の感想。

愛と子宮に花束を ~夜のオネエサンの母娘論~

愛と子宮に花束を ~夜のオネエサンの母娘論~

 

  『身体を売ったらサヨウナラ--夜のオネエサンの愛と幸福論』(以下、『幸福論』)に続いて、2017年に出た母娘論を買って読んだ。幻冬舎Webサイトの連載をまとめたもの。Web連載の時も読んでいた気がするが、当時はそんなにピンとこなかった。のだが、最近私はがぜん鈴木涼美さんに関心を持ち始めた。そして本を買って読んでみるとめちゃくちゃ面白いのである。彼女が選んでいるクラシカルな(というのが適切か分からないけれど)文体もよくて、縦書きの体裁によく馴染む。

 

 何でこの本を読もうと思ったかというというと、『幸福論』のほうを読んで、随所に出てくる母親の描写が気になったからだった。どの親子関係もそうかも知れないが、この作家の親子関係もまた独特で、この作家はこの母親のことをもっと主題的に書くことになるのかな、と思っていた。そして調べたら次の本が『母娘論』だったので、なんだもう書いてたんじゃん、と思って取り寄せたのだった。
 というか、そもそも私が鈴木涼美さんに興味を持ったのは、Twitterで彼女の次のような発言を見たことがきっかけだった。ネトフリのドラマ「全裸監督」が話題になってた時だと思う。過去のAV作品の販売差し止め的な措置をしてはどうか、というアドバイスに対して彼女は、しようとは思わない、ときっぱりと書いていた。元AV女優という過去を隠しているわけでもないし、という理由に混ざって、「母親がもう亡くなっているので」という一文が入っていた。母親が亡くなっているからAVを流通させたままにしておく、とはどういうことなんだろうと気になった。お母様が亡くなったのが2016年で(著名な方なのでwikipediaがあるのだ)、その頃にはもう週刊誌記事も出ていたはずだから、お母様もAVに出たことは少なくとも知っていたはずだ。もうどちらにしろバレているのだからどっちでもいい、という考え方もできるだろう。だけどTwitterの書きぶりからは、お母様が生きていたらAV差し止めも考えたかも知れない、というニュアンスを感じた。それはどういうことなんだろう、この人はどういう親子関係を生きているんだろう、と興味をひかれたのだった。

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 本書は、鈴木氏自身と母の思い出や、友人知人の夜職の女の子の母娘関係についての観察や、考察などが重なりながらすすむ。途中で2003年頃の淵野辺の一流私立大学に通う女の子というのが出てきて、私も2003年頃に淵野辺の私立大学に通っていたので、ああ、同じ神奈川で、こんな大学生活を送っている人たちもいたのだな、と会ったこともないけどなんだかなつかしくなりながら読んだ。同世代の作家というのは面白いな、と思う。


 短編エッセイの集積なので一つに収斂する結論のようなものはないのだが、問いたずねられているテーマは、母親と娘の間にある、愛みたいな感情だろうか。夜職であろうが昼職であろうが、母は娘を愛し、娘は母を思い続ける。
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 本書には、鈴木氏と母親とのやりとりがたくさん出てくるのだが(特に第I部と第III部)、そのひとつひとつが興味深かった。冒頭に出てくる、人生で二度、母から「強烈な嫌悪と憎しみの眼差し」(p.8)を浴びたというエピソードも印象的だ。幼稚園の頃、人見知りをして初対面の人にきちんと挨拶やお礼を言わなかったら、キレた母に地下鉄の駅で手を離され、はぐれそうになりながらも必死に電車に乗って母を見失わないようにした話。そして、大学生の頃、お父さんの愛車を事故で半壊させて、お父さんは嘆き悲しみ、それを見たお母様がものすごく怒り、それを機に実家を飛び出した話(そして友人の淵野辺のアパートに行く)。その時お母様は「私の愛してるあなたのパパを傷つけるようなことをするあんたのことを私は許さない」(p.70)と言ったそうだ。詳細に書かれたわけではない断片的なエピソードだが、お母様は、おそらく感情の起伏の激しい人だったのだろう、と思う。翻訳者で研究者でもあったからか言葉の反射神経のようなものが高く、かなり何でも言葉で語ってしまうタイプのお母様だったようだ。
 鈴木氏は、その感情の起伏の激しさを冷徹に見つめて分析しつつ、しなやかに対応している。小さい頃の鈴木氏が、地下鉄のなかで必死に母親を探し、はぐれずに帰宅したこともそのひとつだったと言えるだろう。彼女はまだじゅうぶん幼かったはずなのに、必死になって自分の手を離した母についていくことができた。そして、大きくなってからも、多少口うるさいことを言ったとしても、目の前の生身の母親をきっと無碍にはしなかった。ある意味で、小さい頃から甘えていない子供だったのだろうと思う。そして、母と一緒に過ごすことがそれなりに楽しいし誇らしいと思いながら育ってきた感じが、本書からは伝わってくる。
 ちょっと話がずれるけど、鈴木氏は表紙のお写真を見てもすごく可愛いし、SNS上の最近のお写真を見てもその明るい表情を見ていれば心根の優しい善いひとだということは一目瞭然に分かるわけで、その善さをお母様も愛していたに違いないし、その愛に応えようと努力してきたひとなんだなということが推測できる。と、ポートレートだけでこんなに雄弁に語るひともいないなと思うんだけど、とにかく鈴木氏は優しく、淡々と、母と世界を切りとり続ける。

 

 本書の執筆中に、鈴木氏の母はがんによって亡くなる。その過程が第III部に断片的に書いてあるのだが、印象に残ったのは、母と娘の次のような会話である。これは、氏のAV出演などの過去がすべて分かった後の話である。

 母は限られた時間を意識してか、それまでよりも直接的な表現でほかにもいくつかのことを話した。「あなたのことが許せないのは、あなたが私が愛して愛して愛してやまない娘の身体や心を傷つけることを平気でするから。どうしてあなたは私の娘をいじめるの?」と言った。「あなたは私の娘の幸福への無限の可能性をすごく狭めてしまったの」とも。
 そんなことを話しながら母は明日はテレビの仕事だよなんていう私の衣裳を一緒に考えたり、病室で化粧する私にあれこれ注文をつけたりして、「いい娘を一人育てて、幸せだった」なんていうことも言っていた。(p.206)


 前半の言葉は、帯にも引用されている。編集者も、ここが印象に残ったのだろう。
 たしかにこれは強烈で、そして不思議な言葉だ。目の前にいるのは自分が愛している娘そのひとなのに、その娘に「どうしてあなたは私の娘をいじめるの?」と問いかける。一人の娘が、あたかも分裂しているかのように。きつい言葉に見えるけど、けして拒絶ではないことも分かる。愛して愛して愛しているのは、その言葉が向かう当の娘なのだから。多分作家もそう受け止めている。
 母が最大限の愛を注いで育てた娘は、家を飛び出し、夜職に入り、AVにも出演し、良い大学、大学院を出て新聞記者となり作家となった。それはすべて愛している一人の娘に起こったことなのだが、それが母にとっては、たぶん、すっきりと100%腑に落ちることではなかったのだろう、と思う。どうしても、愛する娘のこうなるはずだった姿から、逸脱した姿をみてしまう。そうじゃないはずなのに、と思ってしまう。それでもやはり、娘を愛しているのだけれど。
 愛の矛盾、と私は思う。
 私が愛する「誰か」は、私から見て外にいて、客体だ。だけど、同時に、愛する誰かは主体でもあって、ただおとなしく愛されているわけではない。主体として動き、初対面の人にきちんとご挨拶しなかったり、パパの車を壊したり、夜のオネエサンになったりする。「私」の理想から逸脱することをやり続ける。でもそれは本当は逸脱でもなんでもなくて、真っ当に、彼女が生きた結果なのだった。「私」が育てた聡明な娘が歩み、引き受けていく道なのだった。そして彼女は今も生きて、まっすぐに顔をあげて世界を見つめている。
 自分が愛する理想の娘と現実の娘が違ったとき、一つの語り方として、鈴木さんの母親は娘を分裂させるような語り方を選んだ。それは強烈な倒錯に見えるが、じつはたんなるレトリックにすぎない。母親にとって娘のある面は受け入れがたかったが、母親もまた、目の前にいる娘を無碍にすることはできなかった。自分の理解の範疇を超える娘を、愛さないではいられなかった。そんな母娘の関係が、作家の抑制的な文章から立ち上がってくる。

 愛するということは、それがもっとも正しいかたちで結実するなら、愛するひとの人生の移りゆきのすべてを、愛おしむことであるだろう。たぶん鈴木氏のお母様もそうなさっていた。だけれども、どうしても、自分が愛せると考えている範囲から抜け出してしまう娘に苛立ってもいた。もちろん何が正しい愛で、何が間違った愛で、と断罪するつもりなんて毛頭ないしそんなことそもそも無意味だ。そして別に間違った愛でも構わないのだ。間違った愛し方しかできなかったとしても、間違った愛し方を相手は受け入れることができるから。地下鉄で自分の手を離した母の背を一生懸命目で追った、小さな女の子がそうしたように。母親も娘も、完璧な愛なんてなしえない。言葉は巧みだけど、おそらくその巧みさのゆえに、愛をうまくコントロールできない母と、それを受け入れる娘。二人はそうやって関係を作ってきたのだろう。
 生きた人間を愛する、ということは、矛盾に満ちた行為だ。私の愛するひとは、一瞬一瞬変わっていく。そのとき私も変わっている。だから愛も本当は、一瞬一瞬姿を変えているのだけど、それに言葉が追いつかない。言葉にならなくても、母娘の関係はしなやかに動き続けている。だれもそれを捉まえられないかも知れないけれど、たしかに愛はありつづける。なんかそんなことを考えた読書だった。
 すごく良い本を読んだな、と思い本を閉じる。
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 最後に、この本のおすすめポイントを挙げておくと、夜職やホストクラブなどに不案内な読者にも仕組みがわかるような詳細な注が充実しており、なるほどそういうふうに夜の世界は動いているのね、と分かったりする。すごい楽しいし、勉強になるし、2000年代初頭の風俗が記録されているので後年には資料的価値がとても高くなるだろう(それは前作の『幸福論』もそう)。その意味では、一家に一冊おいて家族みんなで読むべき名著である。

 ただ、夜の世界の勉強にはなるけれど、けっして、たんに知らない世界の面白いエスノグラフィで終わるのではない、というところもミソ。母娘関係のひとつの普遍を書きあらわしえていると思う。その意味でも、お嬢さんのいる家には一冊あるべき本である。前著『幸福論』と合わせて読むとさらに楽しい。